6/22(日)まで、岐阜県多治見市のセラミックパークMINO内にある現代陶芸美術館では「デミタスコスモス」展が開催されている。入場料:800円(一般)
http://www.cpm-gifu.jp/museum/02.exhibition/02_1.exhibition.html
デミタスは、食後に深く濃い味わいのコーヒーを飲むための、フランス語で半分のカップを意味する器のこと。
どれも掌にすっぽりと収まるほどの愛らしき大きさにも関わらず、形状、加飾とも驚くほどに多彩であり、これこそが
デミタスの魅力と言えます。それは、各窯、各時代の様式的な特色のみならず、この小さな器に視線が注がれるよう、様々な
工夫がなされているからとも言えます。本展覧会では、18世紀から20世紀初頭のマイセンやセーヴル、ミントン、ロイヤルウースター、ロイヤルクラウンダービー、コールポール、そして日本の錦光山など、東京在住の鈴木康裕・登美子夫妻が40年にわたり1点ずつ収集された、優雅で愛らしく、宝石のきらめきをもつデミタスを一堂に紹介します。
展示されていたのは、小さい器のため約320点と沢山。
私が眼を惹いたのは、セーブルの紺色がまるで水溜りのように深くツヤがあって輝いているような色合い。
そして、カップとそれを載せるソーサーとの模様が連動していて、小さいながらもその模様がずっと広がっていくような
イメージを掻き立てられた。
また、18世紀〜19世紀までは職人の技と工夫による逸品が並んでいるのだが、20世紀になるとより想像性や素材の目新しさ(ガラス等)や加工技術の特色に主眼が置かれ、宝石のような雰囲気はなくなってしまったように感じた。これも大量生産化の影響なのか、世界的に職人技を必要としなくなってきた現れなのか?日本の窯のデミグラス作品は、どこか土着的な色合いで鮮やかさはない。そこに、生活観や気取らない良さもあるのかなぁと思えた。
ヨーロッパでは王室公認で窯を大事にしていくような取り組みを伝統的にしてきた事で、文化的な事業が国益に繋がる事を理解されているのだとこの展示で見えてくる。それは、その製品のブランド化のみならずアイデンティティの向上にも繋がっていく。日本では伝統的なそう言う取り組みには疎い所がある。もっと、自国の良さに眼を向け共感し合えるような取り組みが盛り上がると良いなぁと思えた。
別室では、「LATINラテン!」展が開催されていて、こちらは現代陶芸美術館のコレクションを中心にした「ラテン」諸国の
現代陶芸をご紹介するもの。
堅い材質ながら、丸みを帯びたり巨大であったり様々な雰囲気の作品が並ぶ。現代陶芸と言うことで、所謂うつわや壺と言った形状のものでなく、抽象的で想像を掻き立てられるような作品が多く並んでいた。
デミタス展を観た後で寄ったこともあり、制作の大味感のようなものを顕著に感じてしまった。
今回、岐阜県現代陶芸美術館に寄る事を目的にして行ったのだが、エントラスから広々とした通路があり、所々に受賞作品が並んでいた
美術館に行って得られる事って何だろう??とよく考えたりする。
その一つに、時間を楽しむって事もあるのではないかと思う。快楽にしたっているような事でなく、
自分の波長にそっと合わせながら歩を進める。自分が何を作品から感じるのかを意識していると、自然に自分の心地良い
テンポで作品を見て周れるようになる。その時は、瞑想に近い感じで、日常の喧騒から離れた時間と場所を与えてくれる。
それが、美術館ではないだろうか??と
今年の9月中旬からは、この美術館を主会場に「
国際陶磁器フェスティバル美濃’14」が開催されます。
詳しくは、
http://www.icfmino.com