アートとの触れ合いを身近に!!

飯田・下伊那(長野県)での展覧会の模様やアートに触れた感想等を犬塚画廊から発信していきます。
非言葉のコミュニケーション…その感じ方は
人それぞれで、想像してみる事が大事だと思います。アートに触れて感性UP目指しませんか??
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西村誠英との話し合い会
JUGEMテーマ:美術鑑賞
 
1週間前の1/9(土)19:00〜 アートハウスで『話し合い』会が催された

会場に着く前は、ざっくばらんな話し合いかなぁと思いながら
難しい西村さんの文章にかかれている内容が少しでも理解出来たらばと参加した。
参加者は10名



行ってみての感想は、哲学的な話でどこまで再現できるか分からないが
必死に考えてなんとなく合点のいく思考になると、うぬぼれの自信が芽生え体中が生き生きとしてくるような感覚になってくる。
また、文章では分かり辛いが例えての話を一生懸命言葉を搾り出すように話す西村さんの
意気込みが伝わってきて、こちらも何とか自分なりの導きを見出そうと言う気持ちにさせられる。
言葉にするのが難しい真理や感覚を、何通りもの違った視点から言い表そうとしていた。



私がまとめられない深い事を話していたことをご承知下さい。また本質が違った意味にあるかもしれません。ご了承下さい。

まず、「私達の知・感・蘇生構造は、時代人間界の「世界」概念に閉じられてきた。
     その構造は、受感身体、演者身体、バーチャル身体をもって捉えられる」(レジュメより)

  ここで言う、「世界」概念と言うのは価値観や状態のようなその時々によって変化する事柄を指す。そこから、感受身体(観る者)、演者身体(作者)はその不確かな中で互いに認識せざろう得ない事になる。

その事に危機感を抱きつつ、本来は作品と観る者との〔1対1〕の関係で、そこに「世界」概念と言う
世間体や観る者を取り巻く環境が介在するべきではないのでは?と考える。

その危機感とは、本来人間が持ち合わせている知、感、蘇生構造が充分に発揮されずに、人工的な世界観に抑えられてしまい
「現代の精神のキキは、文化の崩壊のキキではなく、人間文化が造りだしたもの、人・在の崩壊のキキの現場である」(レジュメより)と
人の存在自体の危機をももたらすと説いている。

簡単に言うと、価値観に縛られ本質を見抜けない知、感だと人類の危機に陥ると言うような内容。


そこで、
「ARTの現場で、自らの在身体を解明することがこの現代問われている。それは、自らの生命・在者の唯一不二なる観化身体を開明すること
 →それは、自らの「生きる」野生なる生命身体を開明すること
 →それは、人・在の「在る」ことの属性なる、自然(ジネン)なる在の開明である 」(レジュメより抜粋)

とここから、みかんをただそのものとして捉える。果物とかみずみずしい、甘いと言った価値観でなく
ただ物体として捉えるべきだと、哲学の領域へと入っていく

参考文献として、西田幾多郎著の「純粋経験としての身体の場」、マルティン・ブーバー著の「我・汝」



ここから、西村さんのヒストリーとこの発想にたどりついたきっかけの話になっていき

・縄文土器との出会い・・・・他の人工物は何かを語りかけてくるが、この土器は何も語らなかった。
                 意識・目的の持たない人工物で観ようとするとソッポをむかれるような感
                 覚だった。
・ヒロシマの死・・・・死体をも消し去った現場にここから現代の有在のキキが始まったのではない
            か?
・飯田美術研究所設立
・「有限物界宣言」(1992)・・・これまでの思惟構造を破壊する決意文を策定
                   夢希望の破壊、社会的規範コミュニティーの破壊、アートの知の破壊
                   価値観やアート行為の破壊 等々
・「現代廃物」(1993)・・・現代の廃物は自然物を人工化した物を人間界において廃物にされた物
                であり、それ自身は自然体であること。廃物から現代の野生である
                「大地の刺」を見た。
・「有感としての智観構造」(2001)・・・5感による体験は経験を築き上げる。この経験智はその体験 
                        によるものであり、体験をはみだすことはない関係にある
・「苫前の気韻の智観構造」(2004)・・・死者との出会い体験により、我々の生者、死者、存在体の
                        認識は現象や事象によっていて、死体そのもののから読み
                        取っている訳ではない。
                        自分の身体に持っている存立、自覚、精神、身体は密なる
                        在の構造にあり、それにより他者としての異在観を創造できる

・「現代のARTする身体解明」(2009年1月)
    ・現代のARTする身体は、造形ARTからの離脱
    ・ARTする身体は、感受身体になく、ART跡体(作品)との[1と1]の出会い体験にある
    ・ART跡体は、地上に出現した自然(ジゼン)体[大地の刺]である
    ・ARTする身体は、人・在の生命在〈所〉にあり、自らの唯一不二なる自覚精神を開く現場で
     あるーー人・在の属性にある

  地上にある(もの)は(物:鑑賞物)ではない。(物)は常に地上の他者との関係(環境との関係)の
  もとに置かれていて、ここに(物)自体としての実なる(もの)を観ることは出来ない。
  それを観るためには、関係を断絶、切断しなければならない。その断絶により〔1と1〕の出会い
  現場に(もの)が立つことが出来る。その時、観るものは今、ここと言う一人称の立場で向かい合い
  そこから、自覚精神を蘇生できることに繋がる。

「ここに、ARTする行為身体、ARTする観化身体の開明が、まさに人・在の属性にあることが明らかになる。−−時代人間文化からの離脱
現代のARTする身体は、人工化なる人間としての個人の崩壊を持って蘇生せる。〈廃物人〉の誕生、現代の自然〈ジゼン〉在・野生〔大地の刺〕の自覚精神の誕生にある。」

最後に、新日曜美術館で取り上げられた画家ロスコの作品の前で涙する若者を取り上げ
「意味や目的を越えた領域にARTが展開されるべきではないのか?」と言う言葉が
何となく伝えたいことがしっくりと解釈できた様な気がした。。
成果主義や勝ち負けの意識が強い時代に、それを感じさせない。それを取っ払えるようにいざなってくれる作品。そう言った要素が、これからの現代ARTには欠かせないのかもしれない。。。



「試行錯誤」〈jきずをつける〉
 この前の土曜日、13日に伊那文化会館の小ホールで

第85回伊那美術展記念講演 芸術講演会
「試行錯誤」〈jきずをつける〉=デッサンに始まり デッサンにつきる=
講師:城田 孝一郎さん(現:信州美術会会長・日本大学大学院芸術研究科講師など)

が開催された



*自分の興味が沸いた点のメモ書きから原稿にしています。よって、話の流れを説明しているもの
ではありません。
また、話を途中抜けて(居眠り)して聞いていたので一部割愛があります。スミマセン^_^;

作品を制作するには、試行錯誤して作る。
そのためには、作るだけでなく、物を見る眼も色々と試行錯誤が必要だ。

「創作」と言う字の「創」には、傷を付けると言う意味も含まれている。
これは、ただ単に物理的なことでなく、自分自身の苦悩と言った精神的な側面もある。
作家(小説家だけでなく美術家も含めて)と言う作り出す者は、常にチューブを搾り出すような
自分の感性や技術を余分なく発揮し、
自分の表現に対して限界を希求していくような、厳しい物の捉え方をしていかなければならない。
大岡昇平の「野火」に出てくるような世界が必要なのである



中国の奥地にある彫刻を見に行って・・・・ZZzz

抽象画的な要素が表現には欠かせなくなってきている

モダンアートは伝統を廃した新しい形を求めていくが
ポストモダンアートは伝統に眼を向けながら、機能・合理社会と違った価値観を現代に見出すこと

私の教わった師匠を思い返すと、亡くなってしまったが一度も褒められた事がない。
腹の底から言ってくれる人は、批判的な内容でも時が経てば尊敬すべき人になっている
私の周りでは「いいんじゃない」と言う言葉は、どうしようもない作品に向けられて言われる事が多い。

習字法という、手本を元に学ぶ方法があるがそれは3年あればほぼ習得できる
しかし、自我と言うか個性は続けていかなければ見つからない
そこを見出すために、制作を続けさせる、新たな風を吹き込むのが教授とか先生の役割だ。

信州美術会についても、これが芸術と言う形を破って貰いたい
その為には、指導者の形を押し付けないで欲しい
何人にもすばらしいポテンシャル(潜在意識)がある
けれども、習字的な考え方ではそのポテンシャルが消えてしまう。

台の上にある立体をスケッチしてみて下さい。
これは、実際にやってみると分かり易い。
建築学科の授業でやってみたが、85点以上を付けられる生徒は居なかった。
大抵70点位。
まず、線で描こうとする。でも実際に見えているのは面である。
日本画は線で描いていた為、日本人にはその傾向が強い。
立体をビョウで捉える必要がある

人体や物には膨張や収縮と言ったバランスがあり、よく観察することが必要
気付き⇒デファルメ⇒顕在化があって作品となる

Q,年齢と共に制作への意欲も薄れてくることがあるが、続けていく秘訣は?

A,「恋すること。物に恋する。関心を持つ。興味を持つこと。
   技術ではなく、表現の仕方は学べる物でなはい。
   オリジナルを見出すことがとても大事だ。」

・・・・と、約2時間位の話を聞いてきた。
芸術家は作品で表現すべきで、講演で話すべきではないとも言っていたが
先生の人の良さが伝わってくるようだった。
芸術と言う厳しい世界の片鱗を見出したような気がする。
しかし、画材屋も含めて裾野が広くないと組織の発展も得られず、
しかし中身の深さがなければ充実感がなく、
その立ち位置が難しいなぁと思いました。

それにしても、制作するってやはり大変な事。
ちょうど、登山のような苦労して絶景が見える。ロープウェイでは味わえない充実感があるのだろう
それは、誰かから評価されるとかでなく、自分で納得できるかどうかの世界。

下の写真は、城田孝一郎彫刻展ーギャラリー82で開催されたパンフの一部





版画に見る印象派の解説を聞いて
 4日の18時から、現在美術博物館で開催されている企画展
「版画に見る印象派」の鑑賞会があり、そこで学芸員が展示作品について
案内してくれるとあったので、参加してきた。



話は、印象派が活躍する前の時代背景や、絵画の特徴などの説明があり
バルビゾン派、印象派、後期印象派、それぞれの今回展示している代表的な作品の突拍子さや新しさなどの説明を聞きながら、その油絵作品と展示している版画作品とをスライドで見比べた。

今回、展示しているのは39人の作家の127点。。

解説を聞いた後、ゆっくりと鑑賞できる時間となり学芸さんとも色々とお話ができ、貴重な時間が送れた。
そこで、私がPRしたい今回の「版画に見る印象派」のポイントは3つ!!

 △犬辰り見れる美術館
   ・・・学芸さんの話で「うちは込み合う事がないからゆっくり見れるよ」との事。大都会で開かれる
  企画展では、まわりの人の進み具合がついつい気になってしまう。前の人が遅くても後ろの人
  が早くても、一歩下がらなければいけない気遣いをしまいがちだが、美博は違うらしい。普段ガ
  ラス張りの展示室も、今回はパネルに掛けてあるので、間近で見れる。
   ちなみに、版画に良くあるエディションナンバー(版数と何枚目かが書かれ物)はまだ登場する
  前の作品だと言う。

◆¬ね茲任聾れない版画の色合いと特徴
   ・・・版画は色褪せが早く、今回の展示では通常の日本画でする100ルクスの明るさから62
  ルクスに落としていると言う。それだけ、長持ちのしない絵画なのである。また、版にするにあたり
  下描きは作家がしているが実際に彫るのは彫士が居て(作家自身が仕上げた作品もある)刷士
  と関わっていて、またコレクターの趣向による額縁やその窓枠のマットの重ね方と様々な人のイメ
  ージや感性が入って眼の前の姿となって現れている。
   純粋にその作家のみに焦点を当てるのでなく、そこに関わっている人を想像しながら鑑賞する
  のも、ぐんと世界が広がって気付きの視点が増えてくる。
   また、ぼかし等立体的な表現が出来るドライポイントやカラー・リトグラフ、など版画の技法も
  様々にあり、その表現の違いも楽しめる

、白黒ならではの表現
   ・・・これはカラーの作品と見比べないとなかなか分からない所なのだが、カラーでないからこそ
  工夫を凝らしてコントラストを付けている。最後の展示室で、スクリーンにカラーの絵と版画の絵が
  並んで投影されるので、そこで比較出来る。また、カラーリトグラフではその表現を出す為に幾
  重にも色をかけていると言う。紙と窓枠との間に波打ちがある作品があり、その波打ちが激しいほ
  ど版を重ねている事が分かる。

と職業病も出しつつ、こんな視点で見たら面白いのではないかと思う。。。

今回聞いてきた、時代を追っての説明は次回に!!


具象絵画・抽象絵画の見方の報告
3月30日の日曜日におもしろ美術講座の「」=人間はなぜ抽象を描くようになったのか=が
飯田創造館の201号室で14時から行われた
講師は、長野県信濃美術館の学芸員の木内真由美さん  

参加者は約50人
前半はスライドを使って、"マティス"や印象派の"セザンヌ"の言葉や絵画などから抽象画の概念が出来た経緯を説明
質疑応答を交えて、後半からは地元の作家の作品を見ながら、具象的な絵画と半抽象的な絵画を見比べて何を感じるかの話が聞けた

〜絵を描いている人だけでなく一般の方の発言があった有意義な美術講座だった〜
スライド

前半は、スライドを使ってまずはマティスの作品から始まった
当時抽象画は前衛美術と言われており、虚像をいかにリアルに再現するかを絵の価値観におく見方が大半で
絵をそのままに受け止める。2次元の平面な物としては認識され難かった。
マティスの絵画を見ると、小さな点や細かい筆触が残っている作品がありそれらの方法は印象派から派生している。
小さな点で描いた新印象派としてスーラーの作品がある
マティスは内面を激しく表現しておりこうした手法をフォービズム(野獣派)と言われている
図
印象派の画家セザンヌは、「すべての絵画の構成は、円錐形、球形、円筒形を元に描かれる」と発言。
しかし、セザンヌの絵画はまだ抽象と言えるほど崩れていなかった。

上の論理を実行に移したのが、フランスの"ピカソ"と"ブラック"
幾何学的に対象を捉えるようになり、この時代の作品はキュービズムと言われている。

後に、最初の抽象画と言われる"カンディンスキー"のコンポジションが登場する
これは、音を絵画に取り組もうと、形のリズムを表現し見た印象でリズムを表現した。
抽象画と音楽は関連性の多いテーマ。
また同じ頃オランダの"ピートモンドリアン"の花咲くリンゴの木では、天地左右がはっきりとしない
タイトルを見ても一見判断できない作品となっている。
地域によって同時多発的に抽象画と言う仕法が試されて来た。

今では普通になっているコラージュも抽象的な捉え方に端を発している。
抽象的とは何か??
私は「絵は絵である」と言う認識をすることであると思う。
絵を虚構のリアルな3次元の世界として再現するのでなく、あくまで平面な世界として表現する

次に起こった動きとして
アメリカの"ポロック"は、アクションペインティングという仕法を取り入れた。
これは、絵具を飛び散らす描き方で、そのスケールの大きさや偶然から作品に体が吸い込まれるような迫力がある

最後に抽象画の魅力として、画面の絵具の形のおもしろさ、コラージュの物の面白さ等もある…と

後半の、地元作家の絵画を題材にした説明では今までの机上に近い論理でなく
実際の半抽象的な絵画や具象的な絵画だがその中にも創作的な部分があることの説明などがされた(司会の毛涯さんの話も含む)
実物

写真の右側の川上先生の作品は、確か一昨年の県展で県知事賞を受賞した作品。
タイトルは「創世記」
まずは、タイトルを伝えずに参加者に何が見えるかを聞いた。
割と具象的な要素がある絵で、女性の体(首から上はない)、右上に男性の顔、リンゴ、などが上がった
さらに学芸さんが右下に勢い良く絵具が弾けているのは精子を表しているのではないか??
構図がゴーギャンの同じタイトルの絵に似ていると独自の解釈を披露。

一方、左側の水彩の風景画の南島先生の作品は、横のラインに沿って色が分かれており
セザンヌの影響があるのではないか??
しかし、手前に1本高く木が描かれており、実際にここに1本だけ木が生えているとは考えられない。
先生に聞いた所、「私はよく植林する事がある」と答えていた。
ここの木が描かれている配置が、実はバランスの良いとされる黄金比の位置で
先生は知識として出なく、経験としてここに木を配置できるようになったのだろう
一見実際の風景を描いた具象画に見えるが、創造による表現がなされている。

身近な所では、南信美術展や県展と(現代の創造展)言う大きな公募展があるので
この講座を機会に是非観に着て欲しい。
そして、「この絵は観ても分からない!!」と切り捨てるのでなく
自分の感性で受け取って貰いたい。作家の方は、自分の作品を観ても貰えないのは非常に残念だと思う。…と

一般の参加者からの質問として
Q1、よく良い作品を見なさいと言われるが、何を持って良い作品とするのか?その基準とは??

A、明確な基準はない。よく公募展で賞がつくがその賞にしても審査員の趣向が影響している。
  また、現在は歴史的に有名になっている画家でも、生前はまったく評価されなかったと言う事は珍しくない事で
  今の評価は時代と共に変わっていく。
  何を持って良いとするかはとてもあいまいだが、数多くの絵を観る事によって絵のリズム感や調和と言ったものが
  分かるようになってくる。

Q2、この講座で抽象画には色々な要素が含まれていることが分かった。しかし、実際に美術展などに言って抽象画の前に立った時
  その絵をどう解釈すればいいのか??自分勝手でいいのか??

A、抽象画には明確な表現の意思がない場合もあるし、分かり辛く隠している場合もある。
  ある面画家が鑑賞者に対して「どうだ!分かるか!?」と喧嘩をしかけているような事もあり
  観るものの経験が問われる事もある。
  また観る者に自由に解釈出来る幅を持たせ、そこが人によってどう捉えるか楽しんでいる場合もあり
  それが、自分勝手と言えばそうなるかもしれないが…   
  (一部に自分の意見が入っているかもしれません…(^_^;))


最後に、美術展は学芸員の意図によって配置が決まる。
年代ごとに並べる場合もあれば、テーマに沿って比較できるように展示する場合もある。
そんな事を頭の片隅に置きながら美術館に訪れると、少し違った発見があるのではないか??
信濃美術館の移動展も毎年この南信地域で行われる。
Q抽象画が来るのか??
A分かり易い絵画をとの要望が多く、なかなか分かり難い作品を移動展に出品するのをためらってしまう。
 信濃美術館所蔵の抽象画が少ない事もあるが、是非そうした要望を挙げて抽象画を観れる機会を増やしていきたい!!

…と、抽象画と言う言葉で表現するのが難しいテーマだけに議論が尽きないまま時間によって幕を閉じた感じだった。


今回の続きは、この講座を受講した私の感想について


続きを読む >>
おもしろ美術講座
JUGEMテーマ:美術鑑賞


〜おもしろ美術講座〜として
具象絵画・抽象絵画の見方
=人間はなぜ抽象を描くようになったのか=

という講演会が
3月30日 (日) 14:00〜16:00 に
飯田創造館 201号室で行われる。
入場無料で申し込み不要で聞けれる。

講座

ここからは、ちょっと私ごと…

この商売に関わるようになってから、絵画作品を観ることが多くなった。
そこでよくめにする抽象画。
始めのうちは「何が描かれているか分からん。訳が分からん。
ただの塗りつぶしなら誰でも描けそう」などと思っていた。
正直、何を表現しているのかはっきりとは分からない。
しかし、自分は勝手にこう解釈するなど思い込むと
作品がぐ〜んと迫ってくる。
作者でさえ何を感じて欲しいのか示してないのかもしれない。
観る者の思いによって作品の意図が変わってくる。
分からないところに、未知なる存在や広がりを感じる。
または、対象物の動きを感じるなど
型にはまらない変容があるのが面白いし
その変容が予測不可能な点も見逃せないと思っている。

片や具象はやはりその場所に居るような錯覚にさせてくれる。
壁にある窓から見ているような
具象の中にも、影によってはっきりと描かれていない所や
立体的な絵から、印象主義のような平面的でぼやけた風景のような絵もある。
でもそれらに言える事は、今その風景や光景を見ている気にさせてくれる点だと思う。

ここに挙げたのは、あくまでも個人的主観による知識。
マンチェスター大学美術館学修士課程を出た「木内 真由美」さんの
話が楽しみだ!!

あなたのベスト3は??
第8回現代の創造展が飯田市美術博物館で
3月9日(日)まで開催されている

詳しくはこちらから

受付に行くと「目録」をもらえる。

鑑賞しながら、自分の気に入った作品に出会えたらば
その目録に少し印を付けて
後で思い出すのも、公募展(企画展)ならではの楽しみだと思う。

そうする事によって、作者の名前を頭の片隅に入れられるし
いつかどこかで、またその作者の作品と出会えるかもしれない。。

漠然と、これは良い、分からん、好きになれんとかと思うだけでなく
自分にとってベストな印象を受けた作品を選ぶという行為は
少し大変だけど、自分の今の興味や考え方を見つめるきっかけに
なるんじゃないかなぁ。。。
また、思いもよらなかった画風がお気に入りに見えたりと
新たな発見が出来る事も多い。

自分のベストを選択する。。

これ、いいですよ!!

もし、選択したらそれをコメントで教えて下さい。
そして、エミュニケーションしませんか!?

Q、「デジャ・ヴィーひまわり畑ー」川上久光さんの作品には
いくつの顔(唇と鼻)が見えますか??
また、左手が描かれているのが分かりますか??



感受性がUPする瞬間!?
JUGEMテーマ:美術鑑賞


先日、行われた飯田女子短大の教員展を見に行ったときの事・・・

色々な作品に、このブログを通して鑑賞しているが
苦手な分野もある。

その一つが、織物。

正直、それからどんな世界を想像できるのか?
男性的には合わないのではないか?等と、言い訳に近い理由をつぶやきつつ
見ていたりする。

しかし、「毛布、#54−BMW」を見ていると

織り

・・・・、次第にこんな布を自分の部屋に飾れたらいいなぁ
なんか、アジアンっぽいし、
そう言えば社会人1年目の時、寮でそんなような布買ったっけ??
でも、あれはこの作品と比べると薄くて線も単純で
やっぱりこの作品のほうが手が込んでいるのだろうなぁ〜〜
この模様、何に見えるかな??僕だったら雨だな。。
どこかに手作りの良さはないかなぁ
う〜ん、まばらな濃さ。これも見方によっては霧のような靄に見えるかも
やっぱり、雨かも知れない!!

なんて、事を思ったりしている。

次に見た染色の糸
染色

さて、この作品から何を感じるのだろうか??と一瞬不安になる。
掛けている金具がインテリアっぽい!!などと思いながら
作品ではないので、作品を見る。
・・・・・・・
そう言えば、年初めの旅で、急遽Book オフに駆け込んで買った小説
「キスまでの距離」 (著:村山由佳)の主人公が恋した女性は
染色を専攻している大学生で後に美術教諭になっていたなぁ・・・などと思い出しつつ

そうすると、そのストーリーの世界と作品がリンクして見えてくる
少し、親しみが持ててくる。
あ、染色って版画とかと同じような偶然の産物だよなぁ〜〜
出来上がってみないと分からなくて、2度と同じ色合いが出ないような・・・
等と思ったりする。

本当は、染色に使う材料とか絞り方とかの知識があればもっと深く考察が出来るのだろうが??

でも作品を見る時は、正面で足を止めて、少しぼけーーとする。
そうすると、自然に自分の体験とかとリンクして
親近感が増してくる!!

そう、始めから「どうせ見ても分からない!!」と自分の扉を閉めてしまうと
作品から何かを感じる事が出来なくなってしまうのかもしれない。。

作品を見ながら、実は自分の内面の気付きを促してくれているのかも知れない。
この効果は、日常生活や人とのコミュニケーションで大きな力になるような気がする。
アートの力…そんな事をふと考えてみる事の出来た展覧会だった。

と、同時に俗っぽい結び付け方で
まだまだ自分の中の経験や知識が足りないなぁと思った

今回の続きは、19日から始まる地元作家による美術展
「現代の創造展」について







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感じ方の研究
あけまして、おめでとうございます。

新年、初めてとの事で少し雑談を・・・・

私の好きな詩で、長田弘さん作の
「静かな日」がある。

「静かな日」
目は見ることをたのしむ。耳は聴くことをたのしむ。
心はかんじることをたのしむ。
どんな形容詞もなしに。
どんな比喩もいらないんだ。
描かれていない色を見るんだ。聴こえない音楽を聴くんだ。
語られない言葉を読むんだ。
たのしむとは沈黙に聴き入ることだ。
木々の上の日の光り。鳥の影。
花のまわりの正午の静けさ。

do-mu


この詩に触れたとき、こうも明快に掴みきれない思いや感情を
言葉で表現できる。解説できるんだなぁと感心した。
ただ心を理解するのは言葉なのだろうか?と今は思う。
伝達手段として必要な言葉。しかし、言葉に変換されるときに
必ずズレが生じる。
絵画の感じ方には、そのズレをも許容する広い世界観を持っているような気がする。
木々の上から表現している世界を是非想像して欲しい。
きっと掴めない感じがよく分かると思う。。。

PS
前回の、戦争放棄(ほうき)の写真です。
風の谷美術館で200円で手に入ります。

放棄

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